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2006年9月12日〜9月22日までニューヨークとニューオリンズへ行ってきました。 ニューオリンズのハリケーン『カトリーナ』から1年。 我が目で見るその街は、これまでの街ではありませんでした。 |
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【9月12日〜9月15日 〜ニューヨーク〜】 ドラマー田井中福司氏との数ヶ月ぶりの再会。 9月11日に同時多発テロから5年経ったこともあり、追悼色の街でした。 「そうか、5年前の今頃、僕はアラスカにいたのか。」 2年ぶりのNY。 とても久しぶりのような気がしました。 ルー・ドナルドソンの演奏をコネチカットの大学で聞きました。 その前にルーさんの家まで行けたのは幸せ!音色の良さに脱帽。 オルガンプレイヤーの敦賀明子さんにも再会できました。
【9月16日〜9月22日 〜ニューオリンズ〜】 飛行機から眺めたNO、ポンチャントレイン湖は美しく、碧く、あの長い橋もちゃんと直っていました。 ところが後に聞いた話では、橋は2本あり、壊れた橋はまだそのままで、僕が見たのは被害を受けなかった橋だそうです。 迎えに来た京子さんの車の中からも、今までと変わらない町並みです。 でもなんかヘン。そう・・・人がいないんです。 郊外のショッピングセンターの駐車場にも車がない。営業していない。 静かな街になっていました。 次の日、NO在住の岸本裕見子さんに会い、義援金の寄付先を相談。 「BackStreet Cultural Museum」に決定しました。
写真を撮り、受領書を貰い、今回の目的を終了。 その後、フレンチクオーターの「Donna's」にライブを聞きに行きました。(月曜日) NOへ来たなら、Donna'sは絶対行かなきゃ! 火・水・木はお休みの状態だとか。 ロイヤルソネスタホテルにリチャード・モートン(B)を訪ねるも、木・金・土しかやっていないとのこと。残念。 プリザベーションも週末のみの営業だそうです。 フレンチマンの方へ行きましたが、静かで寒々としていました。 今回泊めてもらった、コーダイラ(日本人バンジョー)もジャクソン広場はお客さんが少ないと言う。 彼はハリケーン後、釣りに凝っていて釣竿が一杯ありました。 カトリーナ直撃の前の日に非難したようで、バンジョーを車に積み忘れ一度引き返したとか。 NOは復興には程遠く、人がいない、ミュージシャンがいない・・・ このまま終わっちゃうのではないか?とすら思った次第。 日本のメディアでしか知らなかったLower 9th wardも行ってきました。 1年経ち、草ぼうぼうの中に家がいくつか・・・一見のどかな風景です。 でも、草ぼうぼうの場所に以前は家が建っていた訳でして、残っている家も誰も住めない状態。 水面の跡が線となり残っており、完全にゴーストタウン。 何年経っても1人も戻れないのではないか?思いました。 シーンとして音もなく、そこにいるのは俺達だけ。こんな街見たことない。 昨日今日の被災ではないのに、状況は昨日今日の有り様。 楽観主義者の僕も「なんとかなるさ」とは、到底思えない状況でした。 詳細はコチラの写真をご覧下さい。 最後に帰る前の夜、トレメ地区のコーヒー屋であったトレメブラスバンド(何度か来日してます)とアマチュアバンドの クリニックと演奏には参った! いつも通りパワフルでハイノートばっちりで、モダンなアドリブが一杯。 それと、小さな子供にトランペットを教える風景がたまらなく良かった。 NOには明日がある!! 僕にとってのNO。 街全てが、そこに住む人々が大好きです。 NOに行くきっかけとしてはJAZZ発祥の地として、【JAZZ】中心に足を運んだ街でしたが、 訪れるたびにJAZZ以外の魅力を多く感じたのも事実です。 人々の暖かさ、優しさ、「始めまして」の僕にいつも親切にしてくれた人々。 ミュージシャン以外の、あの時出会った人々の笑顔と優しさが脳裏に焼きついています。 実際、NOは音楽で成り立っているかもしれません。 僕を含めてそこへ訪れる観光客は【JAZZ】を聞きにきているでしょう。 それでも僕は、NOという街そのものの復興を願いました。 音楽を職業としない、その街が好きで住む人々の復興を。 これからも、NOという街の素晴らしさ、歴史、音楽、人々。 言葉足らずの僕ですが、伝えて行きたいと思います。
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