2001年9月11日のNew York同時多発テロ事件。
ご存知の方も多いだろうが、ちょうどその時、エヘラ氏はNYへ向かう飛行機の中であった。
その日、関東一帯は台風が接近しており、飛行機も飛ぶか飛ばないかギリギリのところだった。
成田から「出発するらしい」と電話をもらった管理人は、”う〜〜ん良かった!”と思いながら、これからの長い1人暮らしをどう満喫するか考えていた。

エヘラ氏が出発して5時間ほどたったPM10:00前後、緊急ニュースが始まった。
New Yorkのワールドトレードセンターが燃えている画面・・・管理人は状況がのみこめずボーゼンとしていた。
意味もなくチャンネルを次から次と変えたが、全放送局が燃え盛るWTCの画面を映し出している。
「これは大変な事が起こったんだなぁ」と何故か落ち着いて考えていた。

ニュースで、数機が行方不明、ハイジャックの可能性が・・・というアナウンサーの言葉でパニックになった。

訳もなく部屋を熊さんのようにウロウロし始めた。
トイレに行ったり、パソコンつけたり、皿を洗ったり、今すべきではない事をとことんし始めた。

それからは、電話が次から次となり続けた。
バンド仲間、飲み仲間、エヘラ氏の家族、私の家族、たくさんの人から心配と励ましの電話をもらい、少しずつ落ち着きを取り戻していった。

少しずつ今やるべきことと現実が理解できるようになった。
さて、まずは航空会社にTELしようとしたところ、回線がパンクしてつながらない・・・
やっとつながったと思えば、『本日の営業は終了しました。』のアナウンス・・・
「こんな時に終了!」と思ったが、それは仕方がない。
回線がパンクしてたので、ネットも見れない・・・・・また熊さんになった・・・・・

エヘラ氏から連絡もない。日本では日本の航空会社の情報しか言わない。
(ちなみにエヘラ氏アメリカのコン○ネン○ル航空利用)
成田にTELしても、『今は何も教える事が出来ない』との回答。

今度は某旅行会社H○SからのTEL。
『佐々木さんの居場所がわからないんです!!知ってますか??』とやはりパニックのTEL。
「旅行会社にわからないことが、私にわかるはずがありません」と怒りをおさえて、今後情報が入り次第連絡しあう事を約束。

TVも電話もネットも情報収集の頼りがなくなり、またまた熊さんになった。

時間がたち私もだいぶ落ち着きだし、現実的なことを考え出した。

万が一、万が一エヘラ氏が犠牲になった時のことを考えて、連絡網を作り出した。
エヘラ氏の両親、子供、友達、バンド仲間、古い手帳を引っ張り出し、電話番号を調べ始めた。

もう少し優しくしてあげればかったな・・・もう少しお酒を飲ませてあげればよかったな・・・
大好きな刺身もたくさん食べさせてあげればよかったな・・・もう少し労わってあげればよかったな・・・
あんなにガミガミ言わなきゃよかったな・・・いろんな後悔と、もし無事に帰ってきたら大切にしよう!
などと考えながら、連絡網作りは終わった。

もう朝方だったので、回線も落ち着いただろうと、メールチェックをしてみた。
エヘラ氏への心配メールがぎっちり!!その中に全く見覚えのないアドレスを発見。
「こんな時にウィルスメールか??」と思いよ〜〜〜く見てみると・・・

件名:「僕チンは無事です」の文字が。

???新種のウィルス?イヤ待てよ・・・「僕チン」イコール「エヘラ氏」ではないか???
少し迷って、”えぇ〜いウィルスでもいいや開け!”とダブルクリック。

本文:「ピザがとても美味しいです。心配なされぬよう・・・」とだけ。

またもや???これは誰?エヘラ氏??でも何故こんな時にピザ???
結局、エヘラ氏からのメールなのか半信半疑のままその日は終わった。
(後に聞いた話では私が熊さんになっていた時、彼は既にアンカレッジに緊急着陸しボランティアの方々に
ピザをご馳走になっていたとの事。その時ノートPCを持っていた大学生の方のPCからメールを送ったそうです)

前日の強風とはうって変わって、外は快晴、TVは24時間テロ事件のことでフル活動。
その後、エヘラ氏からの電話もない。エヘラ氏の乗った飛行機がどうなったのかもわからない。
家のTELもひっきりなし・・・

前日から眠れなかった私はお昼頃ウトウトしだした。・・・・・また電話がなった・・・・・

今度は誰だろうと思い出てみると・・・・
(♂) 「あっ俺だけど!」とエヘラ氏の声。
と同時に怒鳴ってしまった管理人。
(♀) 「あんた!!今どこにいるのよ!!」「連絡ぐらいしなさいよ!!」
(♂) 「あれっ?昨日メールしたけど届かなかった?」
(♀) 「ピザが美味しいってやっぱりあんただったの?」
(♂) 「おぅ それそれ俺だよ!」
(♀) 「・・・プッチィ〜ン!・・・」

こうしてエヘラ氏の無事は確認されたが、昨日の「帰ってきたら大切にしよう!」の反省点は却下された。
かくして、エヘラ、1ヵ月後に真っ黒けっけになり帰国。
それからの、私、いつもに増して、厳しくしております。

〜亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。〜

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飛行機の中からのNYの街
恐ろしいほどの煙
アンカレッジ゙のボランティアの方々。 アンカレッジ赤十字の施設。
水と毛布を渡され2泊
ニューオーリンズにて。
半分は冗談だろうが
恐かった。